アカデミック・ハラスメントとその周辺

アカハラに遭わないために/遭ってしまったら学生はどうするべきか、アカハラと言われないために教員はどうするべきか、アカハラに対して大学はどうするべきかなど。  

質問に対する回答

Askの質問

  • “近年、教員のアカハラ発覚による停職等の事例が多く報じられていますが、本来優秀であるはずの教員がそのようなリスクを冒してまでアカハラをしてしまうのはなぜだと思いますか?”

 

まず、教員は本来優秀ではないですし、アカハラをしない高い倫理意識を持ち合わせているわけではないと思っています。
これは他の職種についても同様で、政治家だからと言って優秀とは言えませんし倫理意識が高いからといって警官であるわけではありません。
大学教員間にも実務教育研究等のそれぞれで有能無能な人間は居ます。
大学教員であることと優秀であること、優秀であることとハラスメントをしないことはそれぞれ全く別です。


さて、質問の回答ですが、アカハラ自体はリスクを冒すことではありません。
これは隠蔽されたり発覚しても処分が甘い為、アカハラをすることにリスクがあるという意味ではありません。
(もちろん本当はそれも有りますがこの場合は特に別の意味でリスクがないという意味です。)
教員が自分の言動を問題だと意識をして(リスクを冒している認識で)アカハラを始める事は少ないだろうと僕は思っており、この点で教員にとってアカハラ的行為はリスクでは無いのです。
例えば学生の卒業を盾にもっと研究しろと迫るような場合は教員が学生の出来に満足しておらず発破をかけるつもりで発言していることが考えられます。
むしろ教員本人は厳しいだけで大学教育として当然だという意識ではじまるでしょう。


指導放棄や論文不正、セクハラ等他の形も色々考えられますが、どれも軽微なものから始まってエスカレートしていくのが普通の流れです。
学生はその間卒業進学等で代謝されていくので、新しく配属された途端に信じ難いレベルのものに触れてありえないと思うかもしれませんが、如何に信じがたくても通時的にみればそのレベルに至るまでの連続した経過はある意味自然なものです。
当然のものでは無いですが。


また、何よりアカハラをする本人の脳内でも、
厳しくしないと今の学生は、とかこれくらいなら普通、
といった理屈が通っていて、リスクという認識はほぼ無いでしょう。
リスクの認識を持てるかは本人の常識によるので、他の人と比べてブレーキを掛けるところが大きくずれており、
あり得ない行動を正当化する能力に長けていればアカハラをする理由に何の疑問もありません。


これらの能力を本来の"優秀さ"によるものと見るかは微妙ですが、教員は必ずしも優秀ではなく、また教員はリスクを冒している認識がない(弱い)と考えると、アカハラをしてしまう理由に納得し易いです。

 

 

  • ”貴方ほどじゃありませんが、そこそこひどいアカハラを受けてます。アカハラによって失ったものはたくさんあります。ただ、自殺が頭によぎるほど追い詰められて、世の中にこんな苦しみがあることを身をもって知って、少しだけ人に優しくできるようになった気がします。自分の苦しみにだけ敏感になるんじゃなくて、苦しんでる人には声をかけてあげたいと思えるようになりました。あなたはどうですか。アカハラで何が変わりましたか。”

アカハラで何が変わったかと言うと、良いことはほとんど無いですね。
行動力、時間、金、心身の健康、知人、学んだこと等失ったものは幾つも思い付きますし、またそれを埋め合わせできるほどのものを持てるかどうかは分かりません。


多分質問者さんのように思えることは強い証だと思います。
まだ経験を消化出来ていないためはっきりとは言えないですが自分の場合はより疑り深くなり、自分第一に考えたいとおも っているので、またこれも一つの変化では有ります。
少なくとも変化を自分で前向きに捉えられることは良いことです。


ただ、アカハラにあって良かった事が少しはあっても、あわない方が良かった事の方が多い事は間違いないです。アカハラにあったこと自体を前向きに捉えてしまうとアカハラを肯定することになるのでそれはしません。
アカハラという困難を乗り越えることで人間が成長できるならどんどんするべきでしょうが、実際はそうではないです。

中々持ち得ない酷い経験ですが、そこから学ぶものがゼロでは無いことは一つの救いです。

 

ブログでの補足:

質問者さんを傷つけそうなので書かなかったが、アカハラで他人に優しくなれた気がするという意見には100%首肯しかねる。

そんなものを経験せずとも優しくなれるのが理想であること、何よりアカハラで得たものを強調しすぎると、アカハラに合わなかった人には分からないみたいな妙な選民思想を持ったり、視野を広げる為にもアカハラにあったほうがいいという変な理屈を無意識に肯定することにつながると思うから。

確かにアカハラを経験したことで想像力も増したし、他の人が持ち得ない視野を獲得することが出来た。しかし、それは本来得られたはずの経験や視野には釣り合わないし、またなにより不要な視野だ。

アカハラにあったという経験から得たもの確かにあるしそれは独特なものだが、自分を避難しないこと,肯定することに集中するあまりに、それを肯定することは出来ない。

 

  • ついに私もアカハラのせいで精神科デビューすることになりました。精神科、心療内科に通うにあたって気を付けてることはありますか? ああもうつらい、つらいよう。アカハラできついときはどうやってきをまぎらわしますか?

通うときに気を付けていることは特にありません。お薬手帳を忘れないくらいでしょうか。
理想は学内の相談センター等でアドバイスをもらうことですが、ハラッサー側に情報が漏れるリスクも有ります。
自分を責めないこと、外に世界が有ることを知ることができればいいです。研究室と全く別の趣味を持てれば良いですが、それすら圧迫される/出来ない場合はかなり危ないです。
脱出できるならしましょう。
研究室に行かなくてもいい位に考えられると楽かもしれません。
つらいときは一度寝て目覚めると少しは緩和されます。
あと他の友達に話すとかなり救われました。
"いやな気分よ、さようなら"という書籍がお薦めです。
分厚いので手が出しづらいかも知れませんが、"虚無主義"という章を読むだけでもかなり有用です。